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スイング・ジャズ、女性アナウンサーとプロボウラー

 

 

今回は、普段は書かない私事となります。 

 

 

 

 

先日、僕の叔父が急死した。持病の悪化による心不全(新型コロナウィルスとは全く関係がないのでご安心ください)で享年88歳。亡くなる2日前まで、自ら経営する商社でバリバリ働いた根っからの仕事人間だった。

配偶者には先立たれていて子供もおらず、一人暮らしの中で亡くなったのだが、発見が早かったのが幸いだった。現在は叔父の周りで動ける親族が僕しかいないため、警察(一人暮らしで亡くなった場合には警察の現場検証と監察医の検死が必要となる)、葬儀(現状ではやむなく密葬)、住まいの整理や保険関係に加えて、僕が一度も携わったことのない叔父の経営する会社の相談まで一手に引き受けることに。不要不急の外出を控える暮らしから一転、要急用・要緊急の連日となってしまった。まぁ、本職のほうはお察しの通りで時間は空いているし、まるで我が子ように僕のこと気遣ってくれた叔父のためと、安全には充分に気を付けながらも様々な手続きをこなしている(←まだ当分の間は完了しないな・・・)。

 

昭和6年生まれの叔父は豪快な人間だった。第2次大戦中にはまだ学生だった彼は、日本中が愛国主義に湧く中で世界地図を見て「このでかいアメリカと戦争して日本が勝つわけがない」と学校で発言して教師にものすごく怒られ、終戦まではマークされていたという。終戦を迎えた時には「やっぱりな」と、その大国とのビジネスに興味を持ったらしい。大学卒業後には関西の商社に就職して、僕が生まれる遥か前の50年代初頭には既にアメリカとヨーロッパを飛び回り、商談を取り付けてきたパイオニア的存在だった。

 

ところが50歳の頃にその商社が倒産。取締役の一人であった叔父は、その余波で個人資産をも全て失うこととなった。しかし、彼は借りてきた20万円を元手に新しい商社を立ち上げて育て上げ、10年後には大幅な黒字で売却。老後の楽しみ(?)として規模を抑えた新たな商社を設立し、亡くなるまで経営を行なった。

 

「馬車馬のように働く」という表現があるが、叔父は仕事も遊びも「ブルドーザー」だった。若いころは一晩でウィスキー1瓶を一人で空けるなど当たり前。その他の(ここでは詳しく触れないが)遊びも徹底していた。戦中からアメリカに興味を持っていた彼は、戦後にスイング・ジャズの大ファンになり、自らもクラリネット(そこそこの腕前)を生涯の趣味としていた。あまりにもワイルドすぎる仕事や遊びぶりは当然ながら高齢で様々な病気につながり、心臓の手術、がんの手術、痛風やその他の持病も山ほど持っていた。それでも基本的なスタンスを一切変えることはなく、彼の遺品整理の際に住まいの棚から半分ほど空いているウィスキー、ウォッカやワインの瓶が何本も出てきたときには思わず「何やっとんの・・??」と声に出してしまったほどだ。「絶対に寝たきりになりたくない」「絶対に延命処置は行なってほしくない」が口癖だった叔父は、最後まで好きな仕事を続け好きな酒を飲み好きなジャズを楽しみ続けて人生を終えた。たぶん、本望だったのだと思う。

 

僕がドイツから日本へ越してきてからはちょくちょく声をかけてくれ、彼の行きつけのジャズバーへ「ギター持ってこい」と呼び出されて一緒にセッションを行なった。いつも「オレ、一応プロの端くれなんだけど・・・プロ・アマの立場関係より叔父・甥の力関係のほうが優先されるんだよな・・・」とつぶやきながら。

 

仕事を通じて驚くほどの人脈を持っていた叔父とセッションを行なっていると、時には面白い出会いもあった。おる時にジャズバーへ呼ばれてしばらくすると、叔父が「ちょっと希君、あの方の歌伴奏頼むわ」と言われてステージに上がると、そこには某TV局の有名女性アナウンサーが。ジャズ・ヴォーカルが趣味というその方のバックを務めることになったのだが、僕を見るなり開口一番「え、ギターなの・・?ピアノじゃないの・・?」と(ピアノトリオでないと嫌というジャズ・ヴォーカルの方、多いんだよな・・・)。妙なプレッシャーを感じながら演奏したのを覚えている。

 

また別の時には「希君、ちょっとある方のお祝いでBGMやってくれ」と前述のバーに呼ばれたこともある。取り敢えず駆けつけて趣旨もわからずに弾いていると、そこに現れたのがなんと、昭和の時代に女子プロボウラーブームの火付け役となり一世風靡した超有名な某元選手。彼女が日本プロボウラー協会の会長就任祝いの2次会を叔父が仕切っていたのだ。いったいどこで誰とつながっとんのだ・・??と半ば呆れながら弾いていたのだが、途中で叔父もクラリネットで参戦したりして盛り上がったイベントとなった。お祝いの会が終盤に差し掛かったころに叔父が「では僕はお先に」と、どこかのオネーサンと一緒に消えてしまい、誰とも面識のないバーで僕が一人置き去りにされたことを除けば・・・

 

破天荒な叔父だったが人を見抜く能力は尋常ではなく、僕も若いころから数えきれないほどの貴重なアドバイスを受けることができた。子供のいない叔父が、僕に本当の息子のように接してくれたことには、いくら感謝してもしきれない。人がどう生きようが関係がない。仕事であれ遊びであれ、自分が正しいと思ったことには全力で取り組むという姿勢からは多くを学ばせてもらった。

 

今日、彼の愛用してきたクラリネットが僕の手元にやってきた。 

 

 

大した価値のものとは思えないが、激しく徹底的に使い込まれているその様子からは、彼の人生そのものが伝わってくるようだ。勝手な考えだが、楽器とともにまるで人生もバトンタッチされたように感じている。なぁに、こっちは酒も悪い遊びもやっとらんのだ。叔父の年齢は軽々と超えて見せるつもりだ。

 

 

 

 

あ、どちらかというと仕事の成果がついてきとらんのか、オレは・・・(汗)

 

 


コメント
Itani-san, I'm so sorry to read about the passing of your father. It's really good that you wrote about him in your blog. Take care, OK? Let's talk on ZOOM soon. Best Always, Tim
  • Tim Donahue
  • 2020/04/30 8:13 AM
Dear Tim,
Thank you for your sympathy. Actually, it was my uncle who passed away (my father's passing was many years ago), but he was like a second father to me.
He really loved the american swing jazz and the american people. He will be rememberd.
  • ITANI
  • 2020/04/30 8:55 AM
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PROFILE
ギタリスト・コンポーザー・音楽講師。

幼少よりよりドイツ在住。ミュージカル、ビッグバンド、ブルース、ハードロックからスイングジャズまでのサポートを務める傍ら、自己のバンド「ITANI」でヨーロッパ諸国にて活動。

1997年に帰国。「ITANI」を再結成する。今まで計3枚のアルバムをリリース。最新アルバム「Station To Station」は海外のプレスからも絶賛される。現在、AmazonやiTunes Storeにて好評発売中。

http://itanimusic.com/

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2020年6月24日(水)
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